無肢をくるむ

洗濯いぬ ふわふわ

写真

 

今日東京都写真美術館で行われている「深瀬昌久 1961-1991 レトロスペクティブ」に行ってきたのだが、生涯で最も心に焼き付いた展示だったので記録に残そうと思う。

 

私は受験一年前に写真表現を追求したいと考えて大学を選んだ。そのため、3年次に写真系のゼミに所属する以前から、写真を中心とした展示活動を行っていた。「写真をやる」と決める前は撮影行為そのものを楽しんでいたように思うが、そうと決意してからは何かに操られるように重い足取りでカメラを抱えるようになった。

撮って、並べて、撮って、並べて、それを繰り返していくと、意味があるのは組み合わせること・編むことにあって、これそのものにはないのではないか。自分は、写真を撮れていないのではないか。と不安になった。

撮影の数をこなしていくとそれなりの写真が撮れるようになる。しかしそれが、逆に人質に取られているようであった。私は技法を磨きたかったのではなく、「写真とは何であるか」について考え表現したかったのに、いつの間にか目的がすげ替わっているような気がしてならない。

次第に自分が何をしているのか分からなくなっていった。カメラがあり、それを抱える手があり、それを支える体がある。けれども、撮影を始めると心が消えてしまう。「逃げ」であれば捕まえることも出来るが、失くなってしまってはどうしようもない。木偶の坊だが開演してしまえば踊らざるを得ない、そんな心境がずっと続いた。

大学1年の頃、別の学科の教授から「君は写真を暴力に使っているね」と言われた時嬉しかった。あの頃は人を殺す覚悟で衝動的に写真を撮っていたから。感情のほとばしりとは恐ろしい。その勢いが失われると、それがとんでもなく価値のあるもののように思えて仕方なくなる。

次第に写真と距離ができていった。それは私が写真から遠ざかったという意味ではなく、撮影しても写真に拒否されてしまうという意味である。フレーム外で考えていること(意図的に思考していることだけでなく、思考と思考の狭間・無意識的なアイデンティティ含め)とフレームが合致しないのだ。

ゼミの先生にある時言った、「写真を好きな時があったかわからなくなりました。楽しさを感じることはほとんどありません」。先生は「それは苦しいね」と腕を組み、何かを考え込んでいた。

 

卒業してしばらくカメラに触れることはなかった。

 

 

深瀬昌久の作品をきちんと観たのは今回がはじめて。あまりパーソナル的なことも知らない。

 

最初は恋人や家族など身の回りの人を撮影しており、時間経過によって恋人だった人が妻に、その人をただひたすら撮る、ということを行っていた。

しかし、ある時から明らかに意味合いが異なる作風に変化する。それもそのはずで、撮ることに重きを置き始めたら関係が壊れていき、離別してしまったのだと言う。それまであんなにも枠を超えて放っていた主体が、急に感じられなくなる。

その後何かに追いすがるかのように鴉の写真が大量に出現する。心に穴が空いてしまったのだ、とんでもない傷を負ったのだと誰もがわかるくらい、肉を剥いでそこに置いたかのような痛ましさがあった。本人の心は弱々しい灯火だったかもしれないが、それと反して屈強な肉々しさ、これ以上ないほど「生」を感じられる作家性のある作品になっていて、別人の展示を観ているかのようだった。

次に出現したのは猫。所謂一般的な可愛らしい写真とはかけ離れたものが一枚ずつ飾られていた。一緒に鑑賞した友達は「妻を撮る目でこの猫のことを撮るようになったんだ」と言っていて、私はそんな印象は抱かなかったけど、庇護や保護、家族に向ける眼差しとはまた違ったそれに血を滾らせた。猫は可愛い。美しい。そんなものは生ぬるい、とでも言うように生き物としての猫の写真が続いていく。長い舌、トゲトゲとした表面、鋭利な毛並み。殺されてしまう、と思いながらそれらを眺めた。警戒心を働かせる暇もなく、体のコントロールを奪われるような作品たちだった。

見覚えのある景色が写っている。これまで根城を築いてきた場所の軌跡だ。自分にも近付きたくない場所はある。それがそうでなくなる日も想像できない。実に自罰的な行為だと思った。さっき知ったばかりの場所が、さっきまで何ともなかったところが、苦痛を与えてくる。この人の目を通して、私に一時的な帰属意識が芽生えた。とても居られない。この時ばかりはカメラは心強い「他人の目」だったのだろうか。シャッター音は心臓を刺すビートになってはいなかったのだろうか。縁(ふち)がなく、浴びるだけで終わってしまった。

それらを経た彼は、今度は自分が一部写りこむ写真を撮るようになる。海外の道中、電車の中から、街から、あまり代わり映えのしない表情を覗かせて。キャプションには「被写体になった人々が次々といなくなっていき、彼は自分を撮ることに…」と書かれていた。正直このあたりから内省が暴走して、観たものの記憶が確かか自信が無い。

最後は「風呂の中で口内に水を含ませブクブクしている様子の自撮り」もしくは「体の一部を切り取った写真」が壁一面に貼られていた。

人々が離れていっても、この人はカメラを離さなかったのだ。これをなくしては生きていけなかったのだ。と思ったら、泣けて泣けてしょうがなかった。私写真パートの展示は何度引っ込めても涙が浮かんできて、頭も熱を持つ程度に思考がとんでもなく働いてしまう。

 

深瀬さんの姿は自分がなりたかったもので、それでもならないものだった。写真でなければだめなのだ、これは写真以外では表現し得ない。そういうものが撮りたかった。説得力のある写真、ではなく写真を「説得力そのもの」にしたかった。結局それが何であるか今の今ままで分からないけれども。

写真に撮らされている時は苦しい。どうかどうかそうじゃない時が来ますように、と願いながらも、舵が手元に戻っても本当に苦しさがなくなることなんてあったのだろうかと、そんな返礼を施してくれるような優しさなんて写真には1ミリ足りともないのではないかと、まるで沸騰したやかんから中身が飛び出ててくるのように、認知すら出来ずに通過していく感情をどうとも出来ないまま見送った。それでもこの人は、カメラを握っていてくれたのだと。

苦しさから完全に逃れることはなくとも、それいっぱいに身体が占められるような時期は通過したのではないか、と想像できる写真を観た時、心の底からよかったと崩れ落ちそうになった。同時にあの撮影の時そういえば楽しかった、という記憶がゆったり脳に運ばれてきたから。私にもあったのだ。

 

これはただの日記なので、何か劇的な結末があるわけではない。大きな変化もないだろう。それでも、心を返却してくれたような今日を、何度忘れてしまっても思い出せるようにここに書き留めておく。

「あなたの好きなひとからプレゼント預かりました」

11月、陽が段々と短くなり気付かぬうちに心も縮んでいく凋む月。

我々は一足先に師走のテープを切り、他の誰よりも生き生きとしていた。

なぜなら🦌オタククリスマス会🎄の開催が決定したからだ。

 

『クリスマス会がしたい』『プレゼント交換会がしたい』『鍋がしたい』という大変気候に左右された欲望を仲間内にそれとなく発信したところ、賛成多数のレスポンスが届いたのである。

ちょっと浮遊した願望が手に届く位置まで即降ってくるという事実にジ〜ンとなりつつ、その手にある欠片を逃さまいとすぐに「本気」になった。

 

奇貨可居。鉄は熱いうちに打て。

マジのクリスマスは結果、本当に最高の一日になったのでそこに至るまでの記録をここに残すとする。

 

メンバー

(ブログ主)
消え子
まつり
しゅ

開催決定日:2022.11.28
開催日:2022.12.25

 

 

目次

 

代行プレゼント交換

 

我々にはそれぞれ好きなひと*1がいる。
物理的に、現実的に、不可能に近いことはわかっていても、「欲しいな〜プレゼント」というどうしようもない衝動に駆られていた。
概念プレゼントなるものをもらったりあげたりする機会はこれまで複数回あったのだが、それはあくまで当人を通じて出来上がった別の像(イメージ)でしかない。再構築を経て出力されたものはそれはそれで旨味があるのだが、今回は少し趣向を凝らそうということになった。

そこで辿り着いた(茨の)道が「交換相手の好きなひとからプレゼントを預かろう!」である。
概念プレゼントは、「自分が普段見ている相手の姿(生活、性格など)」がどうしても混入してしまう上に、転写を繰り返すうちに「本物」から遠ざかってしまう。そのため、今回の催しではその先入観からなるべく遠ざかり、自分を置き去りにしてその相手に「なる」作業が必要となった。

 

そこで、我々は色眼鏡から脱却すべくこんなシート*2を用意した。(作成者:雁)

「好きなひと」から見た「受取人」、「受取人」から見た「好きなひと」への眼差しをそれぞれ知るため、このような項目を設置。

 

ルール説明 ・贈り主をランダムで決める
最初はあみだくじを使用する予定だったが、直近でプレゼントを交換し合った組み合わせがあったことから指名制に変更
・シート記入&提出
・当日までにプレゼントを「相手」から受け取っておく
(・プレゼン資料を用意)

 

 

それでは早速、当日の模様をお伝えしていこうと思う。

 

 

一人目 消え子

受け渡しの様子

袋に貼られている付箋に笑いが止まらない受取人。

 

一つ目、『年中俺!?』ドライフラワー花束。

 

不破さんは4月18日で、スターチスが誕生花である。

「ススターチス(リモニウム)」の花言葉は「変わらぬ心」「永遠に変わらない」。
ピンクのスターチス花言葉「永久不変」。
淡紫のスターチス花言葉は「上品」。

ーwebサイト『4月18日の誕生花|スターチス(リモニウム) | LOVEGREEN(ラブグリーン)』より引用

不破さんは大人で、けれども脈絡ないところがあって、しょっちゅうスイッチがパチパチ切り替わる。けれども空気を読むことには大変長けているのか、消え子くんの特性はよく理解していた。

?「部屋にあるのとないのとでは全然違う!でも手入れは必要なくてそんな君に最高!見て!色お揃い!まぁ実質オレかも?だし見て元気だしてくれたら〜嬉しいかなぁって」。

 

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二つ目、『手何本あってもえぇ』

昨年にじさんじとJILLSTUARTがコラボした際に不破さんの商品も出たのだが、大変人気でその日のうちに完売したそうな。そうした経緯を知ってか知らなくてか…。

?「なんかパソコン作業めっちゃしてるらしいね?もーデスクワークとか、目バチバチぃーなるし手もポロンポロン〜って落ちちゃうかもなー、思て、これプレゼントです。いい匂いするとリフレッシュ出来るやんなぁ。疲れてなくても塗ったら指とか20本くらい生えちゃうらしいで」

 

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三つ目、『心中に必須!』

・参考①

・参考②

自分は人に執着とかあまりしなさそうなのに、わざわざ他者から執着を誘導するようなことしているんだ?!やっぱりホストなんだな!と思いました。
無邪気さの中にこういうところが隠れていて怖いし、意図せずそんな行動が出来ちゃうからカリスマなんだな〜という感想です。余りにも集まれホイホイ!過ぎる。底が見えません!

[心中  本]でググッて一発目に出てきた本買ったらしい。なんでそこで急にジャンプ力無くすんだ。

?「ファンの擬態、してるんだって?ほんならこれ必須科目dahかぉかぉかあjgjmt、俺難しいことわかんね!ぇから予習まかせたわぁ、よろしく!」

 

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四つ目、『きてるよ〜夢〜』スクラッチ3枚

プレゼントで全部をやろうとするんだな、と代理人の私も思いました。三つ目までのチョイスはギリ分かる、のにまだ?!まだやるの?!何なの?!凄すぎますこの人。ブレーキを知らないんですかね?

?「ロマン、大事ッスからねぇ……大事にしていきたいなと思わせていただいておりまして………ハィ〜!普通に?ワクワクするよなぁ!」「100円当たったァ!?え、メッチャ嬉しいなぁ!駄菓子いっぱい買ぃ〜」

 

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以上。

 

 

続いて、

二人目 雁

開封の様子。

まずMoMAの袋が出てきた時点で死にかけました。

私は美術館で作品鑑賞することが好きなのですが、あまり私に興味のなさそうなひとが、実は趣味嗜好を知っているという事実に打ちひしがれてしまい…。

ちょっと色々あった模様でギクシャクしている二人のようです。仲良い時期はないそう。修行から帰還して以降「私、どんな顔をしたらいいのか分からないの」状態で逃げ続けているとかなんとか。

 

一つ目、容器

好きな色を知った上でこの容器を渡そうと思ったそう。もう勘弁してほしい。

手に馴染むシルエット。光によってテクスチャーが少々変わる。

 

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二つ目、青い花

青い花個人的に志村貴子先生の漫画作品『青い花』と、それを原作としたアニメの主題歌、空気公団の『青い花』にとてつもない慈しみを持って生きているので、この字面だけでも全然心がどこかに持っていかれそうになってしまいました。

ポプリを買ったことがなかったので、恐る恐る匂いを嗅いだのですが昏倒しました。あまりにも、本人に備わっている【匂い】すぎて。
普通に生活していて別のことに集中している際、ふと視線を横切った時にこれが目に入るとクリティカルヒットSSS∞。生々しくって恐ろしいので、二週間に一度嗅ぐ程度に留めている。

 

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以上。

 

 

三人目 まつり

まつりくんは2022年の夏に消え子くんと私に唆されて刀剣乱舞を始めた、おNew審神者
今まで夢感情を抱いた経験のなかった彼女に、それを芽吹かせてしまったのが陸奥守吉行。

詳しくはこちらをどうぞ。

 

代理人も受取人も私の預かり知らぬ言葉や感情があるかと思うので、レポーターに徹したいと思います。きっと当事者らが後ほど手記を公開してくれるだろうと思うので……………(ニコ)

マジでこんな顔をしていた。

 

一つ目、カステラ。

「老舗のカステラです」と言われて数秒沈黙した後、状況を飲み込んだ瞬間全員から悲鳴があがる。

陸奥守は『クリスマス』という存在を知識としては知ってはいて、どうやら現代人はケーキを囲って食べるらしい、という情報を得てこれを贈ったのだそう。チョイスが可愛いですね。

 

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二つ目、ゆず。風呂敷入り。

カステラ以上の悲鳴が上がったのは言うまでもない。しかも高知県産とのこと。これ以上は何も。

 

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三つ目、日本酒 司牡丹。

龍馬が愛飲していた代物らしい。
あなたは己で主を染めあげたいんでしょうかねぇ?無意識にやってそうで怖い!せめてあざとくあれ。

 

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まだ出会って半年程度、贈るものが全て「口に含むもの」なところがミソだなと思いました。

以上。

 

 

最後、

四人目 しゅ

「夢感情」と言うより基本的に「ムカつく」という感情で斎藤一と向き合っているというしゅさん。
反応はいかに…。

 

他の人間たちと違って、最初から袋の中身全てを把握しようと覗くシーンがあり恐れ慄いた。
鋼の精神。

 

各写真がなかったため、まとめて紹介する。

一つ目、入浴剤。(真ん中)

モテモテ?なんですって?
「分かってる感」にイラついていました。

 

二つ目、LUPICIA(左)

日本茶。入れる温度によって味が変わるそう。スパイっぽさをこういうところでアピールしてくるのなんか鼻に来ますねぇ。【お茶で人生を表現】は、将来美術館に収蔵される側の人間の行動なんだよ。マジでどういう心境でこれ買ってきてんだ。

 

三つ目、お香。(右)

浅葱。お分かりいただけただろうか。
自分を相手に刻む方法が一筋縄ではいかない人のそれ。なんかずっと半笑いしてる幻影が見えて嫌です、大して彼のこと知らないのに。
「マーーーキングしてんじゃーーーーー〜ーーーーん」by しゅ

 

四つ目、マグカップ(上)

開封の際、袋が何層にも巻かれておりマジで中々出て来なかった。模様が、、、、、、、
全貌が明らかになった瞬間「やだァァァァァァァああああああああぁぁぁ」と叫ぶ人の声。

 

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発言の度文末にデッケェ〜ビックリマークついてる所が面白かった。
これからの関係性にも期待したい。

以上。

 

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これにて終了となります。
如何でしたでしょうか。

 

このシートの醍醐味は何より、「受取人」と「そのひと」の解像度がめちゃくちゃ上がる点にある。

日頃からお喋りや呟きなどでよく耳にしているから知ったつもりになっているが、それは本当に気のせいだということが分かるし、何より元の百万倍もの味覚になって戻ってくるため死ぬほど美味しい(長らく供給のなかった公式から唐突な落とし物が投下されたかのような心境を味わえる)。

私もにじさんじに好きなライバーがいて、不破さんのことはおおむね把握しているつもりだったのだが、改めて意識して配信を鑑賞してみたら表層がツルツルすぎて「見れば見るほど掴めない男」であることが分かった。
不破さんの脳味噌を習得しようと3週間ずっと配信鑑賞に励む、なんて経験は普通に生きていたら味わうことはなかっただろう。

 

オタクライフに刺激が欲しい人間は是非やってみてください。

メリークリスマス!🎅🏻🎄🎂💫💫

これは「クリスマス会」の一部であり、その後の過程は日記として記したいのでもしまた次に会う人がいたらよろしく。
今年もクリスマス会できたら嬉しいね。

*1:人間とは限らないのであえて「ひと」と記している

*2:「好きなひとシート」とでも名付けようかと思ったが、あまりにもダサ過ぎる。是非いい名前をよろしくお願いいたします。

柔さを捨てるな、柔いは強い。

 

先週の日、月に撮った写真。

大学時代に出会って、リア友→バリバリフォロワーになってしまった2人。

全員共通項がグラデーションになっているので、2組ずつそれぞれがそれぞれで盛り上がる話を持っている。その間は誰か一人が空気になるのに、置き去りにならないからすごく楽しい。ターンがぐるぐるぐるぐる巡るので四季の移ろいみたいで面白いです、まぁ全部オタクの話なのでそんな綺麗なものじゃないんですけど…。

 

全員ぬいぐるみを持ち歩く。私は人形遊びをバカにしているような幼児だったのですが…人生いつ何にハマるかわからない。好きなものが多すぎて並べるとジャンルが飽和する。

 

私は『星合の空』というアニメ作品が大好きで、それを鑑賞してもらうために集まった。
 
 
 
 
 

          鑑賞スタート。

 
はじめはなんか可愛い絵だねーなどと、お口ツイートをしていたのですが、話が進むにつれどんどん無言になっていった。たまに出てくるものがあっても、それは溜息とか呻き声とか。
前日に『万引き家族』のオンライン鑑賞会をここの3人+もう1人で行ったのだが、その時の方がもっと和やかな雰囲気だったように思う。
 
フワフワ青春アニメなのかと思いきや…全然地獄作品だと悟った2人は、<効いた瞬間>がある度オレの足を叩いたり、一時停止したりして感情を顕にしていた。
星合の空のEDはソフテニ部のみんなが曲に合わせてダンスを踊るのですが、その描き方がまー"やっている"ので、少しでも興味があれば観てみてください。
作中、中学生特有の思春期発言を聞いて「お前そんなこと言っちゃうの?!」と元気よく吠えていた2人が、EDで完膚無きまでに叩きのめされていたのは見ていて楽しかったです(最低)。
 
 

誤魔化しの写
 
感情の上げ下げで大変消耗するアニメではあるので、折り返し地点に来たところで一旦休憩を挟んだ。
 
その際、もうとにかく耐えきれなかった片方が
 
 「みんなさ!現実がしんどいし、嫌すぎるから異世界モノを望むのに、こんなに現実でどうするの?!だからみんな見ないんだよ!」
 
と叫んだ。
 
 
私は、それはそれはびっくりして、ちょっとだけポカ〜ンとしてしまった。
 
「ここではないどこか」に行きたくて作品を見る、というスタートラインは同じであっても、私は苦しむために作品を摂取しているから救いを求めて観ている人たちとは元から相容れないのだ。ひょっとして、私ってマジョリティ側じゃない?!期待する効果が一般層とは違う?!と目から鱗が落ちた。
私が鬱鬱しい作品を鑑賞している時、母から「なんでそんなに暗いものばっかり観るの?」と辟易した顔をしょっちゅう向けられていたけれど、その理由がようやく分かった。
 
みんなにとって「作品」って娯楽らしい。
私にとっては、人生そのものだから…などと考えながら、渇いてしょうがない喉に水分を流し込みまくった。
 
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夏はラムネを絶対に飲む、という信条を持っているのでお土産に。良すぎて酔った。
 
 けれど、その動揺と同時に隠しきれない喜びも沸き立っていた。
あ、この人たちの中でもこの作品が「現実」になったんだ、ということが。
 
「星合の空」は作品だからこそ、逃げられない。
現実世界でこの世全てを把握することは不可能だし、介入も共助も簡単ではない。「助けたい」という気持ちが発生する以前に、そもそも知ることすら出来なかったりする。
けれど、この作品はリアル世界では不可能な「誰かの現実」を追体験出来てしまう(これが演出の力)。そこに乗っかれば、どうしても「何とかしたい」「力になりたい」という気持ちが芽生えてしまうのだ。
しかし、次元とは酷いもので、どう足掻いても関わらせてくれない。見て見ぬふりは許さない、と言っておきながら、結局我々は見守ることしか出来ないのだ。
 
だから、所詮フィクションだし…と蓋をしてしまった方が楽である。無力で無慈悲で歯痒さばかりが募って、私たちに出来ることなんてありはしない、とこれ以上ないほど突き付けられるから。
けれども、目の前にいる2人は怒っていて、「私が全員ブチのめす!」などと喚いている。私は正直、その光景に救われていた。
 
ここに辿り着くまでの道も、考え方も、生き方も、環境も違う人たちが、こんな風に共鳴し合える瞬間があることは、なんて尊いのだろう。「星合の空」もそんな、「取りこぼしてしまいそうな刹那の輝き」を描こうとしている作品…と勝手に捉えているので、それとも重なって幸せを感じた。
 
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みんな違ってみんない〜
 
 
休憩した流れでそのまま晩御飯に行き、足りなくなったものを補うようにスゲ〜勢いで焼肉を掻き込み、その日のうちにしっかり全話完走した。
 
 
 
 
                    ✨✨✨✨完✨✨✨✨
 
 
 
…と、言いたいところだが、
実は「星合の空」完結しきっていない。残念ながら。
 
というのも、元々2クール予定だったものを1クール分のみ放送しているため、あまりにも中途半端かつ大事な局面で最終回(仮)を迎える。なので、終わった瞬間2人の口から出た言葉は純粋な怒りだった。
 
「亡霊を生み出したかったんですかッ?!仲間を増やすために見せたんですかッッ?!」
腕に刻んでおきたいド名言。
 
結構そこのとこ無自覚で見せちゃったもんだから、私はとんでもない大罪人ですね、いや〜申し訳ない。メンゴメンゴ
 

タイトルの意味と幻の13話の存在を知り、苦しんでいます。
 

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⬆︎「星合の空」公式HPより なんてことを言うんだ…。
 

⬆︎このコピーで我々のソウルジェムはブチ壊れました しっかり傷心。
 
その後全員がpixivで二次創作を探している絵面は、平成の片隅っぽくて良かった。午前3:00の出来事。
ちなみに作品数は、作品タイトルで検索しても300件ちょっとくらい。これはフツーに"死"を意味します。
「星合の空」完走した方は是非ペンを執って頂いて…描/書く方は是非「星合の空」観て頂いて…よろしくお願い致します。いや申し上げます。
 
阿鼻叫喚の巷で泣きながら自家発電している我々は本当に偉い。翌日早速描いちゃった神がいたので、共有しておきます。君の腕に乾杯。(私も絶賛描…)
 
 
 
 
エピローグ的な何か
 
夏が始まると終わることを考えてしまうね。
次の日、昼ご飯を食べて家に戻る道中陽炎が見えて、あ〜一生忘れたくない刻に今いる…としんみりした。
切なくなりたくないよッ。
 
 
 
他にも刀剣乱舞カウンセリングや、シャニマス講座なるもの(あんまり頭働いてなかったから全然力にはなれず…強オタクなのでもう独り立ちしていて安心)を行った。
刀剣乱舞カウンセリングを記事にしたブログをついさっき確認したので、これもまた共有しておこう。めちゃめちゃおもしれーです。

 
あ〜夏嫌いなのに夏終わるな〜!という感情になっている。
真ん中に座っていたばかりに、ケーキを均等に切るという神様イベントがあったよ。
 
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人がいない時は、包丁やラベルに付いてる残党をしっかり食べるんだけどね…としゅんとしている人間を見たら、それは手を貸さないわけにはいかないじゃないですか。
 
なんかもう全部良かったから、この写真を持って終わりとするね。
 
2022年より。
 
 
 

無抵抗しない

記憶の定着率が悪くなった。

気付けばにんじんから芽が生えだしている。

夏は良くない、生き物が生きていることを嫌でも実感させられる季節だから。

絶対に有り得ないのに、「この風の匂い嗅いだことがあるな」と思う瞬間があるし、行き過ぎた(己の)創作話に感情移入しすぎて電車で泣くことがある。

なんてことない日常がこと細かく色付き、振り分けられるシーズンだった、かつては。


中学の頃テストに出た色相環、本当に覚える気がなくて何ヶ所か間違えた。何を間違えたのかは覚えていないが、意気揚々とペケしたに違いないあの大嫌いな美術教師の筆跡は、今すぐにでも呼び起こすことが可能である。

こうやって克明に記すことの出来る記憶が、本当に年々減っているのだ。

年寄りは昔の話ばかりする、とよく言うけれど、それは記憶の定着率が下がっていくことも関係しているだろうな、と確実に歳を食ってく自分を見て思う。

過去より今を生きる大人になりたい、とよく考えていた。今生きてるから過去の話ができるんだけどね。
そんなふうに思える年齢になったこと、それは素直に嬉しい。


ぼちぼちブログ、やってみることにした。


愛しい。